「そこまでだよ。」
ガチャンッという音がしてカルラが室内に入ってきていた。後ろ手で唯一の出入り口だったドアの鍵を閉めながら。
「…ちっ」
「カルラ…!」
ミツキは振り返った。この事が自分にとって良かったのか悪かったのか分からないままに。
「あの崖を登ってここまで来るぐらいだから、あんたのセンスは認めるよ。でも同じことをその子にやらせるつもり?」
「何が言いたい?」
カルラとハイゼの息の詰まるような会話。光姫はただただ立ち尽くすしかない。
「そんなことあたしがさせないよ。」
「…そうかい。」
ハイゼはマントの下に隠すように帯びていた剣の柄を握った。
「ハイゼ…ダメ!止めて!!」
光姫はそれに気がついて必死にすがる。しかしハイゼは無言のまま光姫を自分の背後へと押しやった。冷たい緊迫した空気が流れる。はっきり言って窓から吹き込む風よりももっと冷たい、怖い。
「ハイゼ…カルラ…!!」
いきり立つハイゼとは裏腹に、カルラは室内に入ってきたときと同じ姿勢のまま二人の方を見ていた。カルラは常に短刀を腰に携えているのだけど、それを取ろうとするつもりもないようだ。
「あたしならもっと安全な方法でミツキを下まで下ろす。あたしならその方法を知っている。」
「…どういう意味だ?」
ハイゼが柄を掴んだ手を緩める。カルラはそれを見て取ると、いつもと変わらないといった雰囲気で使われていない暖炉に向かって進んだ。
「抜け道があるんだ。ここ、暖炉の隠し通路はあんたの仲間の待っている側の崖の中腹に繋がってる。窓から下に下りるよりずっと安全だよ。」
そう話すカルラに駆け寄ろうとする光姫を、ハイゼは押しとどめて睨み返す。
「その話の証拠は?」
「今見せられるものはない。あたしが下まで案内して外に出られて、それが唯一の証拠。」
「そんな話を信じると思うか?」
ハイゼがじりじりと後ずさりする。
「待って!あたしが…あたしがカルラを信じるわ。それじゃ…ダメ?」
二人がいっせいにあたしを見た。二人とも驚きの表情で、しかし数秒後には片方は困惑の顔を、もう片方は柔和な笑顔を浮かべた。
「ミツキ…おまえ…」
「ハイゼ、カルラと話をさせて。」
光姫はそっとハイゼの腕にすがってそう言うとカルラの元へ駆け寄った。あたしにはどうしてもカルラがあたしを騙すだなんて思えなかった。
「ミツキ。」
「カルラ…どうして?」
少し背の高いカルラが戸惑う光姫の肩に手を置く。
「元の世界に帰りたいんでしょう?それならあたしたちと一緒にいちゃダメだよ。あんたはルベンズのとこに戻りな。そうじゃなきゃいけないような気がするんだ。」
「カルラ…。」
「あたしに任せて。」
カルラは前屈み気味にそう囁き、再び顔を上げた。ハイゼが尚も警戒した表情でこちらを見ていた。
「さて…御頭さん、どうする?」
「…ミツキが行くなら俺も行くさ。」
「そうこなくっちゃ。」
カルラはニッと笑みを浮かべて素早く暖炉の下に入り込んだ。そして暖炉の右側面の目立たないレンガをボタンのように押してその部分を押し開けた。ヒョオォ…という風の抜ける音がする。吸い込まれるような風が暗い階段の奥まで吹いている。
「ここ。少し狭いけど十分通れる。ミツキ、ちゃんとマント着てきな。」
「あ、うん。」
カルラに促されて急いで床に落としたマントを羽織り、ポケットのブローチでしっかりと留めた。ハイゼはその間に暖房用においてあったランプを手に携えていた。
「さすがだね、御頭さん。だけどランプは先頭のあたしが持つよ。この通路は一列じゃないと通れないんだ。」
ハイゼからランプを受け取ると、カルラは早くも隠し通路の中に入り込んでいた。
「先に。」
「う、うん。」
カルラの次に光姫が入り、最後にハイゼが入った。隠し通路の暖炉の壁扉をハイゼが閉めると、明かりはカルラの持つランプだけとなって、冷たい空気と冷たい石段が待ち受けていた。
「足元、気をつけて。」
カルラが小声で囁く。しかしその小さな声もこの空間では大きく響いてエコーがかかる。暖炉の隠し通路は一人用エスカレーター程の幅しかなく、両側は石壁に囲まれ、どこまでもどこまでも続くかのような螺旋階段だった。ひんやりとした空気が螺旋階段の不気味さを余計増長する。
「ここって何のための通路なの?」
「おそらく緊急時の貴族用脱出路、だろ?」
「そうだよ。とはいってもあたしたちがここに来た時点で1回も使われた形跡はなかったけどね。」
3人の声が螺旋階段をこだまする。カルラの持つランプの明かりだけが頼りの中で、あたしは多少手がかじかんでも石壁を伝って下りるしかなかった。
「一つ聞くが、この道はお前ら全員が知ってるのか?」
ハイゼが背後からカルラに尋ねた。
「いや、全員じゃない。ここを知ってるのはあたしとお頭、それに城の内部を警護する何人かだけだよ。ま、あとはここに住んでた貴族ぐらいだろうね。」
「あいつも知ってんのか…。厄介だな。」
「心配要らないよ。お頭は今時分、城の中をうろついたりはしない。他の警護班もあたしが何とかできるしね。ミツキ、大丈夫?」
カルラはさっきから黙り込んでいる光姫を気遣った。
「…あ、平気。ちょっと話す余裕がないだけ…。」
冷たい石壁と床が手足の感覚を奪っていく。確実に一歩一歩踏み出さないと転んでしまいそう。
「この螺旋階段を抜ければ城の裏口に出られるから…よっと。」
カルラはそう言いながらジャンプした。ランプの明かりが上下に動く。
「そこ、数段穴が開いてるから跳んで。ほら。」
先に穴の向こうに辿りついたカルラが手を差し出す。確かに寒さに強張った体で飛ぶには容易でない長さだ。あたしは恐々手を伸ばしてカルラの手を取ると、思い切ってジャンプした。カルラの補助のおかげでよろめきながらも無事に渡ることができた。
「あんた、随分体が冷たいけど本当に大丈夫?」
「うん…まだ平気よ。」
でもカルラの持つランプの暖かさが恋しい。
「あんまり夜に出歩かないからな…。」
ハイゼも穴を跳び越して呟く。厚手のマントといっても、その下が半袖ではあまり意味がない。両腕で自らの肩を抱いても手の冷たさで余計寒いだけ。
「ミツキ。」
「え?」
ハイゼに呼ばれて振り向くと、ハイゼは黒いマントの下に光姫を引き入れ、子供がぬいぐるみを抱っこするように抱き上げた。
「わっ…ちょ…、ハイゼ!」
驚いて降りようとするけれど、どんなに足を伸ばしてもつま先すら床につかない。
「いいぞ、行こう。」
「そうね。」
ハイゼもカルラも光姫の反応を無視して進む。
「ちょっと待って…あたしまだ大丈夫だから…。まだ寒いのだって我慢できるよ!」
「そういう問題じゃねぇ。大体お前下りるの遅い。」
「ごもっとも。」
ハイゼの返事にカルラは半ば含み笑いをしながら言葉を返す。確かにあたしが一緒になって螺旋階段を下りていた時よりも、こうして実質ハイゼとカルラだけで下りる方が格段に早い。ほとんど足音を立てずにどんどんと下がっていく。ハイゼは…サイフェルトの言ってた通り元々盗賊だったんだ。この黒いマントのハイゼならそう言われても納得できる。それに…とても暖かい。ハイゼの体温が直に伝わってくる。自然と鼓動が高まる。体が内部から段々暖まってくる。最初はハイゼの肩に置いていた手を、いつの間にか首元へと回していた。