少しずつ…本当に少しずつだけど、あたしの気持ちは上向きになっていった。盗賊の孤城に来て5日目、心は段々落ち着いてきていた。もう会えないと分かっている方がかえって早く立ち直れる。“もういい”だなんて投げ遣りになることもなくなった。今はただ早く元の世界に帰れるよう願うだけ。はたから見れば孤城に閉じ込められているように映るだろうけど、ここでの生活はそんなものではなかった。もちろんカンヅメ状態では他の盗賊のメンバーに会うことはないけれど、きっとその方が安全。カルラは食事の時、夕方、寝る前とことあるごとに部屋を訪れてくれて本当に心強かった。サイフェルトもカルラほどの頻度はないけれどよく部屋に来てくれる。あたしは本当に恵まれているんだって、この時になってやっと思い直すことができた。

 

 

 孤城といえど夜は少し寒い。部屋が広いから余計に体感温度が下がるんだろう。カルラの持ち込んでくれた暖房用のランプが滔々と燃えている。あたしはベッドの上でマントに包まって座り、ゆれる炎を見ていた。アロマ効果なんかなくたって、傍らで小さく灯る炎はとても落ち着く。元の世界でもキャンドルの火が消えるまでずっと見ていたことがあったっけ。小さな炎が眠りを誘う。しばらくしてやっと部屋全体の隅々までくまなく暖まった室温が一気に下がった。背後から冷たい風が吹いている。半ばウトウトしていた光姫は今一度意識を現に戻した。

(…風?)

ややあって光姫は不審に思った。高い孤城のてっぺん間際のこの部屋は、窓が羽目殺しになっていて開くはずなんてないんだ。光姫はそのままベッドの座った体勢を保ちつつ振り返った。その反動で肩に掛けていたマントが滑り落ちる。窓際には誰かが腰掛けていた。黒っぽい見慣れないマント…だけどその下には見慣れたオレンジの瞳が隠されていた。

「ハ…ハイゼ?」

「ああ。」

黒いマントのフードを下ろす。長めの髪を緩く一つに結んだハイゼがそこにいた。

「なんで…?だって…」

光姫はよろめくようにベッドから降りた。同時にマントが体から床に滑り落ちる。

「迎えに来た。」

ハイゼの一言に光姫はゆっくりと駆け寄った。窓際から立ち上がってハイゼがそれを受け止める。光姫はハイゼに抱きついて泣いた。顔をうずめて、ハイゼのマントを握り締めて、涙が止まらなかった。悲しい涙はいくらでも耐えられたのに、嬉しい涙はどうしようもなく止まらなかった。

「ハイゼ…、っ…あたし…」

「いいよ。」

ハイゼの“いいよ”。いつもの一言が優しく心に響く。初めてこんなにも泣く光姫をハイゼは暖かく抱き寄せた。半袖だろうがミニスカートだろうが関係なかった。今はこんなに体が暖かい。

 

「ミツキ…今は時間がない。」

抱きしめたままハイゼが囁く。

「時間…?」

ミツキはゆっくりと顔を上げた。まだ瞳には涙が溜まっている。

「見つからないうちにここを出るんだ。この窓から崖下までロープが4回に分けて続いてる。一定間隔に結び目があるから滑り落ちることはない。俺が一緒についてお前を下まで下ろすから。」

「こ、ここから?」

ハイゼの肩越しに窓の外を見る。暗い崖下がとても怖い。下から吹き付ける風が今いる場所の高さを思い知らせている。

「崖下にはテオたちが待機している。そこまで行けばニロでここを離れられる。」

「それは…今すぐ?」

「ああ、今すぐだ。」

ハイゼは光姫を離して戸惑う肩を両手で持つ。いつもと違ってマントが黒いせいか、それとも髪の毛を結んでいるせいか、今夜のハイゼはどこか雰囲気が違う。

「ちょっとだけ待って…。あたし、何も言わずにここを出て行けない…。」

「盗賊にいちいち挨拶する必要はねぇ。」

「でもカルラやサイフェルトはあたしにすごく良くしてくれたわ。せめてバレない程度に一言でも…」

「駄目だ。お前の後ろめたさじゃすぐにバレる。それに何度も言うがそんな必要はない。お前は勝手にここに連れてこられたんだから。」

「じゃあ書き置きだけでも…いけない?」

「ミツキ…、本当に今は時間がないんだ。見つかったら下にいるテオたちもヤバイ。頼むから素直に来てくれ…!」

ハイゼは悲痛な面持ちで諭す。でも…それでも心がイエスと頷かない。勝手にいなくなってどう思ってるかなって、今度はカルラたちに対して思わなければならないの?

「ミツキ…」

小刻みに体を震わせて俯く光姫をハイゼはこれ以上強く説得することはできなかった。ミツキの気持ちは分かる。こいつの性格上、どんな些細なことでも裏切ることなんてできやしないんだ。だがこちらとしても一刻の猶予もない。今でなければ二度とチャンスは巡ってこないのだから。

 

 

    

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