盗賊一行はいくつかの団体に分かれて、バラバラのルートでアジトへ向かっていた。光姫が一緒にいる頭のグループは巨岩沿いにニロを進め、左側に常に巨岩を見ながら砂漠を歩いていた。熱い…だけど、もうそれすらも思うことなんてないの。最初は元の世界に帰れるなら誰でもどんな手段でも構わなかった。でも…ルベンズじゃないと駄目だったんだ、あたしはルベンズと一緒にいたかったんだ。もう叶わないけれど…。
「見えるか?」
不意に盗賊が声をかける。光姫は少し顔を上げた。丘…いや、崖の上に建物がある。左の方から西日を浴びて真っ黒にしか見えない。
「あれが俺たちのアジトだ。住み心地は保障するぜ。」
「……うん。」
今の光姫にとっては、その一言すらも苦痛だった。涙をこらえるのに痛めた喉は、思うような声を発してはくれない。
盗賊の頭はこうして争いから離れてみるととても穏やかな人だった。その雰囲気はどこかハイゼに似ている。本当ならそれに応えて明るくありたかったの。自分のためにも、あたしが来ることでキャラバンから多くの荷物を奪わないでいてくれた盗賊のためにも。だけど…心はずっとずっと奥に沈んでしまっていた。どんなに手を伸ばしても届かないような胸の奥の深淵にまで…。
「ここからあの上まで登っていくんだ。落ちないようにな。」
そういって一団はなだらかに崖上まで続いている坂道の入り口に差し掛かった。坂といっても足元は磨り減って少しだけ滑らかになった凸凹道だ。慣れていなければ上手く上がっていくなんてことはできない。ましてニロに乗っている状態ならなおさらだ。けれども盗賊の一団は軽快なニロの足音と共にどんどんと登っていった。この黒いニロは山羊のように崖や丘に適した種類なんだ。
一行はアジトへとだんだん近づいていく。遠くから一目見ただけでも大きいと思ったけれど、それもそのはず、盗賊のアジトはもうずっと昔に放棄された古びた孤城だったんだ。他のルートを通ってきた仲間が色んな方面から終結し始めている。アジトに待機していた部隊が開門して仲間を引き入れたり、帰還した人々が荷物を下ろしたりニロの鞍を外したりで、まるでひとつのバザールのように賑やかだった。城壁に施された装飾は破損していたり、そうでなくても蔦やコケで汚れたりしている。この黒ずんだ壁が元は白壁であったことは、昔住んでいた王族しかきっと知らない。それはこの建物がアジトとして必要なのであって、城としての機能をとうの昔に捨て去ってしまった証だった。
その城の中、光姫の乗ったニロも、他の者と同じように最下層のニロ舎へと入っていった。ここには茶色いニロなんてほとんどいない。わずかに1割くらいの確率で黒いニロの間にちらほらと見える程度だ。
「降りれるか?」
盗賊が先に降りて問う。光姫は無言のまま、今は慣れた動きでニロを降りた。足の裏に感じる城の床の感触が、自分が今までとまるで違うところにいることを思い知らせる。
「こっちだ。」
盗賊はそんな光姫を気遣いながら城の中へ案内した。石段をあがるとドアの朽ち果てた入り口に出た。人を招き入れるというよりは、ただ口を開けているだけのような玄関。そこから続く廊下も、赤い絨毯がひいてあったらどんなに良かったかと思うようなものだった。岩間の道からずっと通ってきた砂漠とは反対方面の景色を望む窓も、カーテンがあったりなかったりだ。暫くそのまま進むとホールに出た。ここが本来の玄関、城であったときにはここから人が出入りしていたのだろう。今は完全に塞がれている。後になって聞けば、その玄関は崖の下の町に向いていて、町からはここまで上がってくる細い道があったのだという。現在は岩崩れによって道が分断され、町から登ってくるものなど誰一人いない。だからこそこの城は盗賊のアジトにはうってつけで、反対の崖に向いたニロ舎から出入りしていたんだ。
盗賊の後について光姫はホールの階段を上り、更に次の階もその次の階も上り、最終的には少し狭い螺旋階段さえも上がった。いくら心は沈んでいても体力は別問題。光姫はもう随分息を切らしていた。前にも階段でこんな風にしたっけ…。あの時はロングスカートが邪魔だった。
「ここがお前の部屋だ。」
かなり遅れて階段を上りきった光姫を、盗賊はある部屋のドアを開けて待っていた。中に入って驚いた。そこだけは未だに城の面影を残していた。古い暖炉、石の床にひいた大きな円形の絨毯、天井からレースのカーテンを下げたベッド、何もかもが古びていながらもそのままだった。
「ここって…」
「来客用だ。好きに使っていい。」
光姫はゆっくりと部屋の中に入っていった。どこかの国の大富豪の娘の部屋なら、現実世界でもこういう部屋があり得るかもしれない。光姫は歩きながらマントのフードを下ろし、丸い頂点を持つベッドの足に触れた。
「後でお前の世話役をよこすから。それまでゆっくり休め。」
そういって盗賊は扉を閉めて出て行こうとした。しかし途中でふと気がついてもう一度ドアを全開した。
「そういえばまだちゃんと名前を聞いてなかったな。俺はサイフェルトだ。サイフェルト・ポルター。お前は?」
「…光姫。ミツキ・コーサカ…。」
「そっか。」
サイフェルトはにこっと笑った。光姫はそれに素直に返すことができず、目を逸らしながら小さく微笑んだ。まだ本心から笑えたわけではなかったけれど。
サイフェルトが部屋を後にして、光姫は力が一気に抜けたようにベッドにどさっと座り込んだ。南に向いた窓からだんだんと暗くなっていく空が見える。これで良かったの…?あたしがしたことはルベンズにとって本当にいい事だったの?もしかしたらもっと違ったいい方法があったかもしれない、あたしは早まったのかもしれない。あたしが離れたことで、バーディンさんやテオさんたちがハイゼに怒られたりしなかっただろうか…。あたしは離れるべきじゃなかったのかな…?何があってもルベンズと一緒にいるべきだったんじゃないかな?だってあたしはまだあの人たちと一緒にいたかったんだもの!!
次から次へと仮定する考えが浮かんでは頭に蓄積されていった。頭はもう飽和状態、これ以上はおかしくなってしまうかもしれない。誰かに解消して欲しい…ハイゼ…。
―コンコン…
ドアのノックの音が聞こえた。頭を抱え込むようにしていた光姫は顔を上げた。
「はい…」
「邪魔するよ。」
光姫が返事をすると待ちかねたように人が一人入ってきた。マントを頭からすっぽりかぶっている上にひどいハスキーボイス。はっきりいって今の状態では男性か女性かもよく判別できない。
「あんたが連れてこられた子だね?」
そう言ってフードを下ろす。少し色黒の肌に黒い短髪。非常に分かりにくいけど女性だ。
「あたしはカルライト・ベルーナ。でも皆はカルラって呼ぶ。あんたもそう呼んでよ。」
「ありがとう。あたしはミツキ・コーサカ。」
キャラバンが男ばかりだったからというわけではないが、それを抜きにしても同性というのは無条件に落ち着く。今度は目を逸らさずに話せてる。
「ちょっとマント掛けておいていい?あんたも脱ぎなよ。寒いなら火持ってくるし。尤も暖炉は使えないけどね。」
「ううん、大丈夫。」
そう言って光姫は三日月のブローチを外して少しの間見つめると、大事そうにスカートのポケットにしまった。
「お頭次第…だけどさ。」
「え?」
光姫の様子を見てカルラが呟く。
「お頭次第だけど、あんたの望みが叶う可能性はゼロじゃないよ。」
「あたしの望み?」
「そ、あんたが砂漠を渡ってた目的だよ。何かあるんでしょ?じゃなきゃ普通女が砂漠を渡るなんてないし。」
「うん…そうね。」
光姫はマントを脱ぐ仕草に紛れて俯いた。今は精一杯頑張らないと顔を上げるなんてできない。
「まだ元気でない?」
カルラの言葉に光姫は目線を上げた。
「今はそれでもいいよ。今はね。でも近いうちにハッキリさせておかないと望みは叶わないって覚えておきな。…夕食できたみたいね。持ってくるから待ってな。」
芳しい匂いを嗅ぎ付けてカルラは一度階下へと降りていった。分かってる…分かってるよ。このままでいたって帰れない。いつかはサイフェルトにもカルラにも話さなきゃと思っても、ルベンズ以外の人に知られたくなんてなかった。それにあたしが今本当に帰りたいのは東京なんかじゃなかったんだ。