「新入り!」
盗賊はニロに蹴られて倒れているあの男を呼んだ。
「ふ、ふぁい…」
顔の腫れ始めている男はあやふやな返事を返した。
「丸腰の女は襲うなって言っといただろ、馬鹿が。」
「あぁい…すんません…。」
次に盗賊はあたしに目線を戻した。
「顔を見せろ。」
盗賊があたしに告げる。あたしはためらった。マントの遮光は精神的な防御だったし、それ以上に体が動かなかった。怖くて…震えて…ハイゼの首に回した腕が取れなかった。
「マントを下げろ。」
ハイゼに向けた切っ先が揺れる。ハイゼは呼吸をしているのは確認できるけど、ピクリとも動かない。完全に意識を失っている。あたしは震える手で自分のマントを掴み、フードを下ろした。だけど盗賊の方に目を向けられず、ずっと目を逸らしながら俯いていた。
「ふぅ…ん。」
盗賊が意味深に納得する。
「な、何ですか?」
あたしは恐る恐る口にした。
「いや…こいつが油断を承知してまで助けた女がどんなもんかと思ってな。だが…まぁなるほど…。」
最後の言葉が思いがけず柔らかく、あたしはふと顔を上げた。相変わらず怖い…けれども、スポーツマンといった雰囲気。額からこめかみにかけて傷が走っている。
「さて…ルベンズ。」
盗賊はハイゼに剣を突き付けたまま周りを見渡した。
「戴こうか。」
「…何が欲しい?」
バーディンが抜き身の剣を力なく携えて問う。
「荷車を2つ…」
「2つ?」
テオレルは5つある荷車の全てを要求しなかったことを不審に思って呟いた。
「それからこの女だ。」
「…え?」
あたしは全身の血が逆流したみたいに冷たく痺れた。嘘…何を言ってるの?あたしが…何?
「待て!それは駄目だ!!」
言葉の出ない光姫の代わりにテオレルが叫んだ。今までの冷静で静かなテオレルとは全く違う。燃えるような瞳、燃えるような雰囲気、遠くからでもよく分かる。
「それだけは御頭が承知しない、そうだろ?バーディン!」
「あぁそうだ。荷物なら好きなだけ持って行け。その子だけは絶対譲れん。」
「ふぅん。」
盗賊は意に介さないような返事をする。あたしの心臓は冷たく鼓動を早める。
「じゃあ荷車は1つ。」
「だからミツキさんは駄目だって言ってるだろ!!」
テオレルが怖いくらいの剣幕で怒鳴る。
だけど…だけど同時にアルフの言葉が頭をよぎった。キャラバンが負けて荷物を沢山奪われてしまったら壊滅するしかない…。ルベンズが…今までずっとあたしに良くしてくれてきた人たちがそんな風になってもいいの?怖がってるんじゃない!足の震えもいい加減止まってよ!あたしがキャラバンにいる意味が、もしこの時のためだったとしたら、あたしは動かなきゃいけないんだ、キャラバンを…ハイゼを救うために。
「あ、あたしが行けば…荷車は一つだけで…いいの?」
光姫は震える声で盗賊に話しかけた。振り向いた盗賊と目が合う。
「ああ、そうだ。俺に二言はねぇ。」
「お嬢!やめろ!」
「そうだ、あんたに行かせたんじゃ御頭に合わせる顔がない。ここは俺たちに任せて…」
料理長やバーディンが必死に食い止める。
「でもここであたしが行かなかったら、あたしがハイゼに合わせる顔がないわ。お願い、行かせて。」
「ミツキさん…」
光姫の強く辛く映る目にルベンズは次げる言葉がなかった。そりゃあ荷車をすべて奪われたら生活は終わりだ。女一人でそれが免れるならこれ以上のことはない。だけどそれはその女が光姫でなかった場合においての話だ。今はもうハイゼだけでなく、ルベンズ全体が光姫を受け入れていた。光姫の事情を知る知らないに関わらず。
「剣をハイゼに向けてないで。しまって。」
「ああ。」
光姫の言葉に盗賊は素直に従った。最後まで納剣されたのを確認すると、光姫は意識のないハイゼの耳元にそっと囁いた。
「ハイゼ…ありがとう、今まで…。」
そして今一度ぎゅっと力を込めてハイゼを抱き寄せると、静かに体を離してその場に寝かせた。そして立ち上がってルベンズの方に振り返った。
「ごめんなさい…あたしワガママばっかりで。ハイゼのこと、お願いします。目が覚めたら、あたしが勝手に行ったんだって伝えて。本当にありがとう。」
「お嬢…」
駆け寄ろうとした料理長やアルフを無視するように光姫は盗賊の方へと歩き出した。もしちゃんと別れを告げたら…行くなって言われたら、気持ちが揺らいでしまうから。ハイゼの方も見ないようにした。目をつぶって、涙がこぼれないように、このことにもきっと何か意味があるんだって強く何度も言い聞かせて。
「前に乗れ。」
盗賊の頭は自分の乗っていた黒いニロを座らせて、鞍の前方部分を勧めた。光姫は何も言わず、顔も上げないで言われたとおりにニロに跨った。その後ろに光姫を抱え込むように盗賊が乗り、ニロが立ち上がった。数人の盗賊の仲間がキャラバンのニロから荷車を一つ外し、自分たちの方に付け替えているのが目の端に入る。
「行くぞ!」
頭がそう言うと全員が疎らにその場を離れていく。光姫を乗せた頭のニロも方向転換をして、岩間から砂漠の方へと抜けていった。その時ルベンズの皆がどんな表情をしていたのか、後にも先にも分からないままだった。光姫は黒いニロの短い鬣の辺りをただ見つめていた。どんどんと眼窩に涙がたまっていく。目の前が霞むなんてものじゃない。ニロの歩く振動に連動して揺らめいている。光姫が瞬きをすると涙がポタポタッと一気に二粒流れ落ちた。盗賊の頭はその様子に後ろから気がついて、下ろしていた光姫のフードをゆっくりと頭に戻した。
しかしその後にどんなに涙がこみ上げてきても、光姫は絶対に声を上げて泣いたりしなかった。涙をこぼしもしなかった。ハイゼのくれた三日月のブローチが目に入る。あたしは泣いちゃいけないんだ。この別れがハイゼに対する一種の裏切りではないかと心のどこかで思いながらも、慰めてくれたハイゼを裏切ったりなんてできなかった。