「すまないな、本当はもっと盛大にそなたに礼をすべきなのだが…」
儀礼の次の朝、あたしやハイゼの見送りにアリアさんが呟いた。
「いかんせんアスベラは頭が固いのだ。他の者を内部に受け入れたがらない。」
「いいんです。あんな素敵な部屋に泊めて頂けただけでもう十分ですもの。」
光姫は昨晩の儀礼の後、アリアの用意した特別な部屋で一晩過ごした。もちろんハイゼやテオレルにも同じくらいのグレードの部屋が用意された。お風呂もベッドも大きすぎるくらい豪華で、代役のご褒美には多過ぎるくらいだと思っていた。
「そなたは謙虚だな、気に入った。それに…何度も申すが本当に助かった。いくら私でも追放はさすがに堪えるのでな。」
アリアはふふっと笑った。
「でも…サガにはなれませんでしたね。アリアさんが選出されていたのに…。」
「良いのだ。どんな理由があろうと私が儀礼にいなかったのは事実だし。それなのに追放されなかった事はそなたが考えているよりも有難い事なのだよ。それにそなたを助けた南のセラ…いや今はサガ殿だな、あれは賢明で素晴らしかった。彼こそこの度のサガに相応しい。」
「そうですね。」
光姫はニコッとほほ笑んだ。アリアもそれに笑顔で応えた。
「それじゃあそろそろ本題に入ろうぜ。」
ハイゼが光姫の後ろから声を掛けた。
「本題、とな?」
「あぁ、ウォルトンにはもう話してあるが…ってミツキ、お前まで分からないみたいな顔してんじゃねぇ。」
「あ、そっか…。」
あたしは途端に気付いた。本当に忘れてたんだ。
「あぁ、借りを返すという話だな。ミツキ、何が望みなのだ?」
アリアも気がついて首を少し傾げながら尋ねた。
「あの…教えて欲しいことがあるんです。」
光姫は真っ直ぐな目でアリアを見つめた。
「あたしは…」
目を一度背け言葉を探す。
「あたしはこの世界の人間ではないんです。東京っていう別の世界から来ました。アリアさんなら何か知ってるんじゃないかと思って…」
あたしは極端に不十分な申し出をした。本当はあまり別の世界から来たことを言いたくなかった。口にすると自分がひどく場違いな人間に思えてしまうから。
「つまりな、ミツキはこの世界に閉じ込められてトーキョーって所に帰れなくなっちまったんだ。アスベラに関わったきっかけはミツキがあんたに間違えられたからだけど、あんたを助けようと思ったのは元の世界に帰る方法を教えてもらおうと考えたからさ。魔方陣を扱うアスベラなら可能性は高いしな。」
ハイゼが後ろから言葉を足した。いつだって言いたくて言えない言葉はハイゼが代弁してくれる。
「なるほどな…」
アリアは光姫を伏し目がちに見つめた。不思議な目付き…厳しく威圧的にあたしを見つめるのに怒ってるような感じはない、嫌な雰囲気もない。一体あたしの何を見てるの?
「残念だが、私には今のところ直接教えることはできないな。」
「そうですか…」
あたしは少し肩を落とした。
「だがいい事を教えよう。南東の砂漠と岩山の境目にリゼットという老婆が住んでいる。アスベラの者ではないがとても博識な方だ。この方なら何かご存じだろう。必ず行きなさい。」
アリアさんの言葉には所々不可解なニュアンスがある。そうすることに意味があるの?それを見抜いているの?
「南東だな?分かった。ミツキ、行くぞ。」
ハイゼは静かに促す。
「まぁそう急くな。もう一つ話がある。ミツキ、私はこのリゼットの話で借りを返したとは思っておらん。何か困ったら私の元へ来なさい。その時にこの度の借りを返そう。」
アリアは意志の強い目であたしを見つめた。今はアリアさんの意図は深く考えないでおこう。きっとアリアさんにしか計りしえない何かがあるんだ、その時には助けてくれると言ってくれてるのだから。
「はい。そうします、アリアさん。」
光姫は素直な返事を返した。アリアも光姫もとても柔和な表情だった。
「いいか?本当にそろそろ行くぞ。明日出発だからな。」
「うん、それじゃあ…」
「あぁ、くれぐれも南東には必ず。」
アリアは念を押して手を振った。絶壁もアスベラの建物も少しずつ遠のく。あたしも見えなくなるまで手を振っていた。
「よろしかったのですか?」
アリアの後ろからウォルトンが現れ囁く。
「何がだ?」
「ミツキ様の知りたかった事、本当は全て教えて差し上げられたでしょうに。」
アリアは意味深に笑みを浮かべた。
「良いのだ。私が今教えずとも、あの子はやがて嫌でも真実を知る事になる。その時のために借りを残しておくのも良かろう。」
必ずその時は来るのだ。私達の繋がりはそのためにあるのだから。
「参るぞ。まだ北のセラ選出が残っておる。」
「御意。」
二人は踵を返し建物へと戻っていった。一度も光姫の方を振り返らずに。
ハイゼはずっと黙っていた。出発準備のためにテオレルたちを先に帰していたため、光姫とハイゼは二人で帰路についていた。なんだかピリピリしてる…ハイゼが怒ってるのはもちろんなんだけど、それがどうにもいつもと違って小さな男の子がむすくれてるみたいだった。
「…どうかしたの?」
前を歩くハイゼに話しかけた。ハイゼは返事を返さない。
「ねぇ、何そんなに怒ってるの?」
「…別に怒ってねぇよ。」
今のハイゼにはぶすっという擬音がよく似合う。
「嘘。」
あたしは一言小さく呟いた。ハイゼの歩く速度が上がる。
「嘘じゃねぇよ。ただオイシイところを全部南のセラに持ってかれたからだ。」
だから気に入らないの?御頭モードならいつも結果オーライで済ますくせに。素のハイゼは本当に子供みたい。
「だからあの人がサガに選ばれたんじゃないの。それにあたしを助けてくれたし、もっとちゃんとお礼したかったな…。」
ハイゼはますますむっとした顔になる。あたしは何となくピンときて少し早めに歩くハイゼに駆け寄った。
「でもやっぱりハイゼがそばにいてくれて良かったよ。すごく安心できたし、それに…」
あたしはハイゼのマントを掴む。まさかこんな乙女チックな事をする日が来るなんてね。
「それにあたしのワガママを聞いてくれてありがと。ハイゼやテオさんたちには何の利益にもならなかったのに…」
途端にハイゼが立ち止まる。予期していなかったあたしは数歩余分に足を踏み出した。何かと思って顔を上げた時には、ハイゼのマントの色が視界を覆い尽くしていた。
「ハイ…ゼ?」
腕の下から素早く腰元に手を回され、慌てたあたしは言葉を口にするのもままならない。あたしはハイゼに強く抱き締められていた。
「いいよ。」
吐息混じりの声が耳元で囁く。あたしの今の心拍数はどんな全力疾走した時よりも早い。ハイゼに体を引き寄せられてつま先立ちでやっと地面に足がつく。
「これでチャラだな。」
腕を緩めてあたしの真っ赤な顔に笑顔でそう言った。さっきまでむくれてたのはどこへいったのやら、満足げな少年の顔だった。ハイゼが手を放すとすっかり足腰が立たなくなって、へなへなとその場に座り込んでしまった。
「チャ、チャラって…テオさんたちにはどうするの?」
「心配すんなって。あいつらにはもう見返りを渡してある。」
ハイゼがしゃがみこんでいかにも面白がってる声で言う。
「歩けるか?お嬢さん。」
ハイゼがさらに冷やかす。
「歩けます!」
だけど足に力が入らない。
「…手、貸してクダサイ…。」
あたしは恥を忍んで口にする。
「はいよ。」
ハイゼはあははと笑って差し延べる。こんな風に笑うハイゼは初めてだった。