それからの3日間はあたしにとっては歯痒かった。ハイゼはキャラバンのテオさんを初めとする何人か(料理長が言ってた最初からハイゼを知ってる人達だった)と一緒に探していたけれど、それでも吉報は入ってこなかった。
「あいつらがこれだけ探しても手掛かりが掴めないとなると相手は相当やるな。北には専門の奴等でもいるんじゃないか?」
2日目の昼にハイゼはウォルトンにそう漏らしていた。あたしが出ていって何かが変わるわけもないだろうけど、でも何もできないのが悔しかった。あたし、役立たずの邪魔者だ。その上何でもルベンズに頼るワガママだ。ハイゼはあたしを負担だと思ったことがある?…きっとあるよね。「ごめんね」って何度も言いたくなるけど、ハイゼは多分微笑んで許してくれるからもう言わない。それにこれ以上は卑屈になるだけだから。その代わりあたしにしかできないことは精一杯やるね、怖がらずに。
運命の3日後の朝が来た。アリアさんを探すルベンズはハイゼも皆出払っていて、あたしの窓のない部屋はとても静かだった。未だアリアさんに繋がる情報はほとんど入ってこない。この数日の惨めなあたしの気持ちを意味付けるように、あたしがアリアさんになりすます可能性は段々と高まっていく。でもそれならあたしがアリアさんに借りを作れる。心のどこかで無事に明日以降見つかればいいのにって思ってた。
「ミツキ様、そろそろお召し替えを。」
ウォルトンの声が扉の向こうから聞こえた。
「もう…ですか?」
「えぇ、もうじき各地域のアスベラ様方がご到着なさいます。形だけでも威光をお示しにならないと…。」
「分かりました、行きます。」
あたしは一度大きくゆっくりと深呼吸をした。大丈夫、今はずっと心静かに落ち着いている。ウォルトンは部屋から出て来た光姫にまずアンダーになる洋服を手渡した。金の輪で前後から留めるキャミソールとスパッツのようなもの、それに薄いブーツ型のサンダルだった。
「この上から更に厚手の布を纏って頂きます。とりあえずはそちらをご着用ください。」
「えぇ。」
光姫は再び部屋に戻って着替えを始めた。こんな時でなければこのタイプの服は絶対に着ない。光姫は金の輪を首元で留めながらそう思っていた。この上から厚手の布を纏うにしても、今このアンダーの状態があまりに軽くて頼りない。スースーするって言ったらいいのかな?何にしても制服を脱ぐというのは、この世界でのあたしにとっての鎧を外すようなものだ。
「…これでいいですか?」
光姫は扉から顔だけ出してウォルトンを見つけると小さな声で囁きかけた。
「よろしゅうございます。さ、こちらへ。本来なら女性に頼むところですが、事が内密なだけに私が失礼してお手伝いします。まずこれを…」
ウォルトンは遠慮がちに白くて厚手のマント素材でできたワンピースを差し出した。それを上からすっぽり被ると、肩口の紐を少しきつめに締めた。次にウォルトンの取り出したえんじ色の帯で着物並みに腰をキツく整えると、ワンピースのスカート部分はふわっと広がった。
「あの…ウォルトンさん。」
「何でございましょう?」
「あたしとアリアさんってよく似てるんですか?」
ワンピースの裾を調節していたウォルトンは、すっくと立ち上がってあたしを真正面から見た。
「とてもよく似てらっしゃいますよ。遠くからではおそらく分からないでしょうね、私がそうだったように。ややアリア様のほうが背がお高いですね。しかしミツキ様とアリア様で決定的に異なりますのは髪の色と瞳です。アリア様の髪の色はもう少し金色に近く、また瞳はミツキ様よりも強くハッキリとしておいでです。」
「じゃぁ頭をすっぽり隠さなきゃならないんですね。」
あたしは自分の髪の先をつかみながら言った。
「そうです。そのためにちょうど良い髪飾りを選んでまいりました。これなら儀礼の間くらいは大丈夫でしょう。」
ウォルトンの手には金と皮でできた大きくて四角い髪飾りが乗っていた。髪飾りというよりも帽子といった方が近い。しかも烏帽子とかそういった重厚感のあるタイプのもの、もちろんそれほどの高さはないけれど。金の飾りからは黒くて薄い布が垂れ下がっている。ちょうど顔にかかる位置と長さ。これなら髪の毛だけではなく瞳も充分隠すことができる。
「あとはミツキ様に髪の毛を小さく結んでいただくだけで大丈夫でしょう。」
「そうね、何とかやってみるわ。」
光姫は両手で髪飾りを受け取った。
「ウォルトン!いたぞ!」
唐突にハイゼの声がした。断崖の際の秘密の入り口からハイゼの姿が見えた。
「いらっしゃいましたか!?」
ウォルトンの顔がぱっと明るくなる。表情を緩めはしないけれど、それでも嬉しそうなのはよく分かる。
「どこにいたの?」
ハイゼに駆け寄り気味に光姫は尋ねた。
「…あぁ、お前ミツキか。」
ハイゼはいつも制服の光姫が見慣れない格好をしていたために、近くに寄るまで光姫と確認していなかった。確かに普段制服のミニスカートだと、いきなりのロングスカートは違和感があるよね。着ているあたしがそうだもの。
「これがちょっと厄介だぜ。一応場所としては西海岸の反対側の外れだ。同じように崖があるだろ?そこのかなり分かりにくい洞窟だ。それは間違いない。だけど…」
「いかがしました?」
ウォルトンはハイゼの答えを急ぐ。
「見張りがいるんだ。しかも結構場慣れしたやつらだ。常に警戒してやがるからなかなか入り込めない。今はテオレルたちが全員そこで見計らってるが、まだ時間がかかるぜ。儀礼が始まるのが今日の夜だろ?それまでに油断を見せるとは思えないしな。」
「左様ですか…。しかしアリア様は無事なのですね?」
「あんだけ警戒してるってことは多分な。それにモニスならおそらくそういうところで手を出したりしないだろ。アリアの追放が目的なんだろうし。」
「アリアさん、間に合うと良いけど…」
あたしは俯き加減につぶやいた。いくらアリアさんに借りを作れるかもしれないといっても、やっぱり不安はある。あんな卑劣な男にあたしがアリアさんじゃないとバレたら、どんなことをされるか分かったものじゃない。
「当面はミツキが代役を務めることになりそうだな。」
ハイゼは腕を組んであたしを見やった。
「大丈夫か?」
「うん…あたしもそろそろ役に立たないとね。」
あたしは自分で思っているよりもずっと頼りない笑みを浮かべていた。それと同時に大きな鐘の音が建物内に響いた。体の芯まで響くような大きな音だった。
「ミツキ様、どうぞ奥の間へ。そこで髪飾りの準備をなさってください。急いで。他のアスベラの方々がお着きになりました。ハイゼ殿も早く上へ。」
ウォルトンはあたしの背中を軽く押して、壁の内部に埋め込むように架かる螺旋階段の上に行くように促した。ウォルトンの口調はとても落ち着いていたけれど、早口に切羽詰ったような声だった。
あたしは髪飾りを小脇に抱えて螺旋階段を上がった。かなりの段数がある。足首までかかるロングスカートがひどく足手まといだ。前を駆け上がっていたハイゼは途中で止まって振り向くと、数段遅れのあたしの元に戻ってきて髪飾りを代わりに持ち、先に行くよう促した。あたしはスカートの裾を持って一生懸命上がるけれどとても長続きしない、すぐに息が上がる。
「ごめ…ハイゼ、先行ってて…」
壁に寄りかかり息も絶え絶えに呟く。
「馬鹿、お前が行かないとマズイだろうが。」
ハイゼは後ろからあたしの腰に手を回して、半ば強引に階段を上がらせた。上がるといっても体が少し浮いていて、実際には数段おきに階段に足を置くくらいだった。
「あ、ありがと…」
階段を上りきってそれでも尚あたしの息は整わなかった。ハイゼは髪飾りとあたしとを両手に携えていたのに、肩で息をする程度にしか乱れていなかった。
着いた部屋は今までいた部屋よりも広く、円形の窓が吹き抜けに面して設置されている。ハイゼは窓の窪みに腰掛けて、あたしは持っていた櫛と部屋にあった紐で髪を整え始めた。
「来たぞ…」
ハイゼが窓から見下ろして呟く。
「来たって誰が?」
「北の奴等だ。」
あたしは髪をぎゅっと結び終えてハイゼの横から覗いた。
「紺のマントの奴がいるだろ?あいつがモニス・アスベラだ。」
「あの人が…」
モニスは周りに何人か従えてその中心にいた。第一印象は下心大アリのエロオヤジ。横に広い潰したような顔に大きな目がやや離れて付いている。まるで爬虫類とか魚類みたい。金色の髪を流れるように分けていて、紳士ぶっていてナルシストな様子が伺える。先入観がなくても嫌な人。近付きたくない。
「ハイゼ…」
あたしはハイゼに目線を移して名を呼んだ。特に話すこともなかったのだけれど、今はただその名を口にするだけで安心できるような気持ちだった。
「…あぁ、これか。」
ハイゼは暫くその目を黙って見つめ返してくれていたけれど、ふと手に持つ髪飾りに気が付いたかのように口を開いた。
「ほら。」
髪飾りはゆっくりとハイゼの手であたしの頭に据えられた。額の金の飾りから垂れ下がる黒幕が目の前を覆い、髪の毛はすべて円柱の帽子の部分に収まった。
「ふふっ、あたしだって分かる?」
あたしは少しだけ楽しくなって帽子をかぶったモデルのような仕草をした。
「いや…」
ハイゼの静かな声が返る。あたしは目の前の黒幕を少し持ち上げてハイゼを直視した。黒幕は非常に薄くて向こう側が見えるけれど、サングラスと違って明瞭には見えない。
「どうかしたの?」
「…アリアの方はテオ達に任せてきたからさ、俺はずっとこっちにいるよ。儀礼の間も吹き抜けのどこかに隠れてるからな。」
ハイゼがオレンジ色の強い瞳であたしを見つめる。大丈夫、今はもうアリアさんのフリをするのに不安はない。護身術も鎧も何もないけど、自分自身で身を守る心の余裕が今はあるから。