短編小説「サイドローグ」2
気が付くと、見慣れない路地に二人はいた。途中から抱えられて走っていなかったにも拘らず若葉の息は相当上がっていたが、男はまるで落ち着いていた。
「ど、どういうこと?あなた…誰?」
若葉は息を整えながら、少し睨みつけるように男を見た。
「僕はノイス。」
「ノイス?」
明らかに日本人の名前ではないが、その方が彼にしっかりくる。髪は日本人が染めたような茶色ではないし目鼻立ちはハッキリしていて、逆に「ツヨシ」だとか「タクヤ」だとかの名前だったらそっちの方がおかしかった。
「言っておくけど、これってけっこう事件性ありよ。」
「ああ、そうだな。こっちではそうだった。」
ノイスは呟くように言った。
「こっち?あなたの国では日常茶飯事ってこと?」
「国というか…時代だけど…まぁそんなに珍しい事じゃないな。」
若葉にはノイスが何を言っているのか分からなかった。
「…すまなかった。ちょっと会いに来るつもりだったのに、とっさに連れて来てしまって。結果的に巻き込んだ。」
ノイスはやっと顔を上げて、その申し訳なさそうな表情を若葉に見せた。
「だったら説明して。なんだかあなた誰かから逃げてるみたい。」
そんなノイスの顔を見て、若葉はすっかり毒気を抜かれてしまった。今はもう人並み以上に色白なこの少年の力になってあげたいとさえ思った。
「きっと君は信じないだろうけどね。でも話を聞いてくれるだけでもいいんだ。」
ノイスはそういって腕にはめた腕時計のようなものを若葉に見せた。
「これが何か?」
ノイスは若葉の答えを促した。
「わからないわ。ただの腕時計じゃないみたいだけど。」
「そう、これは腕時計じゃない。転移装置だ。」
「転移?もしかして時間を、ってこと?」
「そうだ。やはり君は頭がいいな。」
ノイスは淡々と話していたが、最後に少しだけ微笑んだ。
「まさか…冗談でしょう?だってそんなの信じられないわ。」
「だから最初に言ったじゃないか。話を聞いてくれるだけでいいから。」
若葉は口をつぐんだ。ノイスは言葉を続けた。
「僕はね、今から大体100年後の時代からきたんだ。正確には2122年。世界は今とほとんど変わらない。だけど医療技術が桁違いに進歩して、人々はこっちでは考えられないくらい長寿になるんだ。僕が今いくつか分かるかい?」
「いくつって…私とあんまり変わらないんじゃないかしら?18…くらいでしょ?」
わざわざ年齢を言わせるのだから、見た目の年齢とはかけ離れているだろうことは若葉に容易に想像できた。しかし、だからといって思いつく年齢があったわけでもなく、とりあえず見たままに答えた。
「僕は2122年の時点で84歳になる。」
「嘘…!」
若葉は息を呑んだ。
「未来では…不老長寿になるの?そんなことが…医術でなんとかなるわけ?」
ノイスは何も答えなかった。答えない代わりに右腕で左腕を掴んでおもむろにひねった。左腕は何の前触れもなく、一本の真っ直ぐなすじが入ったと思うと、ガキンッという音をたてて肘の少し下辺りから外れてしまった。
「…っ!!」
若葉はもう言葉も出なかった。切断面は骨の代わりに太いボルトのようなものが通っており、神経や血管の代わりに何本ものケーブルが繋がっていた。その周りには見たこともないような細かい機械がぎっしりと詰まっており、左手の指を動かすのに呼応してチカチカと光っていた。若葉の頭にはもはや「信じられない」という言葉は浮かばなかった。目の前にある真実にただ震えていた。
「サ、サイボーグ?」
上ずった声でノイスに尋ねた。
「いや違う。」
「じゃ、じゃあアンドロイド?」
「それでもない。僕は半分以上全て以下の機械人間だ。僕の時代ではサイドローグと呼ばれてる。」
そういって左腕をはめ直した。
「半分以上全て以下?どこまでが機械なの…?」
と若葉が言った時、また通りで聞いたようなパシッという音が連続して聞こえてきた。ノイスは途端に黙った。またタイミングを計っているかのような表情になった。
「これって…」
若葉も耳をすませた。どこから音が出ているのか全く分からない。しかし確実に音は多くなり、また近づいているように大きくなっていった。
「ノイス…」
耳に手を当てて横目で少年を見た。ノイスは小さな声で「1,2,3…」と呟いて5まで数えた時、非常に素早くその身を伏せた。また黄色い閃光が見えた。
「何々?何なの?!」
若葉はパニック状態だった。今度こそはっきり見えた黄色の閃光に恐怖を感じたからだ。
「ステルスだ!しつこいな…」
ノイスは伏せた身を動かさずにそう言うと、また数を数え始めた。ステルスと聞いて、若葉は辺りを見渡した。だが不審な飛行物体どころか飛行機さえ飛んではいない。
「無駄だ!ステルスは肉眼にも見えない!」
ノイスは二回目の閃光をよけると、再び若葉の手を取って走り出した。どんどん若葉の知らない路地へと逃げていった。毎日の通学路といえど、こんな所までは来たことがない。また耳元でパシッと聞こえた。
「くそっ…!君は向こうへ!あいつらが狙ってるのは僕だ!しばらくしたらさっきのところで落ち合おう!」
ノイスは三叉路で若葉の手を離し、右側の道を行くように促すと、自分は一番左の通りへ駆け抜けていった。若葉も言われた道を少しだけ走ったが、すぐにそんな必要はなくなった。あの不快な音は若葉の側ではしなくなっていた。ゆっくりと速度を落とし立ち止まると、若葉はへたり込むようにその場にしゃがみこんだ。
―未来の機械人間…不老長寿…?そんなことが医学で可能になる時代が来るなんて…
若葉は頭を抱え、教えられた事を戸惑いながらも整理していた。しばらくそのまま座り込んでいたが、「後で落ち合おう」と言ったノイスの言葉を思い出して、若葉は立ち上がった。持っていたヘアゴムで髪を一つに結ぶと深く深呼吸をした。
「何にしても良かったのは中間テストが終わってる事ね。こんなんじゃ勉強なんてできないもの。」
決して若葉は現実逃避しているわけではない。ただ心を落ち着けるために、何か幸いな事を思い出して口にすることで、ずっと気が楽になっていた。
若葉はノイスに言われたとおり、さっきまで話をしていた所まで戻った。10分経ち、15分経ち、それでもノイスは戻らなかった。若葉は座り込んで指をいじるようにしながら待っていたが、不意にノイスの言葉を思い出した。
―あいつらが狙ってるのは僕だ!
ハッとして立ち上がると、若葉は走り出して三叉路を左に曲がった。左の道はほとんど一本道だった。そして行き着いた先には、倒れているノイスと二人の見慣れない男が立っていた。男たちは丸腰だったが、ノイスに対してどんなことをしでかすか分からない雰囲気だった。
「ノイス!」
若葉は油断していた二人の男の横を通り過ぎて、人形のように動かない少年にすがりついた。
「大丈夫?何があったの?」
「…若葉。」
どうやら意識はあるようだ。
「おい、女!余計な手出しをするな!何を知ったかしらんが内容によっては…」
と、そこまで言いかけた時、少し後ろに控えていたもう一人が背中を小突き、何かを告げた。すると改めて若葉に目をやり、驚いたように「プロフェッサー…」と呟いた。
「何のことよ?!それよりノイスに何をしたの?!」
若葉は怒鳴ったが、二人の男は数歩後退すると、その目の前で見えないドアが閉まったように不自然に姿を消した。
「…若葉。」
ノイスが呻くように驚いている傍らの少女の名を再度呼んだ。
「ノイス…どうしたの?体が動かないの?」
「ああ、接続を切られたんだ。黄色い光を見ただろう?あれを頚椎に当てられると、脳と体の機能とが遮断されてしまうんだ。」
ノイスはうつぶせの時によくなるような押しつぶされた声で話していたが、別段話すのに意識的な不自由はないらしい。
「どうしたらいい?」
「ありがとう。背中に再接続のスイッチが埋め込まれてるんだ。そこを開けて起動してもらえるか?」
「背中?」
若葉はノイスの上着をめくってその背中を見たが、そこには取っ手も切れ目もない普通の背中があるだけだった。
「開けるって…どう開けるの?」
背中を探るように摩りながらノイスに尋ねた。
「開放スイッチがある。それも埋め込まれてるから適当に背中を押してみて。」
若葉は戸惑いながらも背中のそれと思しき場所を指で押した。そして6度目に背中の一部を押した時、ピピッと電子音がして、背中に正方形の切れ目が入ったと思うとその部分が持ち上がった。その中は、腕と同じように骨の位置にボルトがあり、ケーブルと細かい機械であふれていた。
「これを押せばいいの?」
「ああ、うん。たぶんそれ。」
ノイスは若葉を完全に信用しているのだろうか、大して確認もせず押すように促した。尤もその箇所にあるそれらしいスイッチは一つしかなかったのだが。
若葉がそのスイッチを押すと、パソコンが立ち上がるときのような音がした。そして細かい機械の一つ一つが光り始めて、背中の蓋は自動的に閉まった。
「はぁ…」
ノイスはため息とともに立ち上がった。
「そんなに苦しかったの?接続が切れるのって。」
「いや、別に痛いとか苦しいとかの感覚はないよ。ただ体は重いし、動かしたい時に体が動かないのは不快だからね。さて…」
ノイスは腰の辺りに手を当てながら、周りを見渡した。
「あいつらの乗り物はまだ近くにいるな…。少し撒こうか。失礼。」
そう言ってノイスは若葉を抱き上げた。
「んなっ!?ちょっ…!」
「しっかり掴まってて。」
ノイスはそれだけ言うと物凄い速さで走り始めた。しかもただ走るだけではない。彼は若葉を抱えたまま三次元で走っているのだ。
「ノ、ノイス!これ、人に、み、見られたら…!」
体がひどく上下するので、若葉の言葉は途切れ途切れになった。
「大丈夫だよ。今僕の周りにステルスをかけてるから。誰にも見られてない。」
「でもっ…ステルスって、レーダーに、映らないだけ、でしょ?」
若葉は恥ずかしさを忘れて、ノイスにしっかりとしがみ付いていた。そうでないと今にも振り落とされそうだった。まるで暴走するオートバイやオープンカーに無防備で乗っているような感覚。あまりの速さに酔いはしないけれども、目を開けるのも困難だった。
「こっちではまだそうなんだろうけど、2100年にはステルスは肉眼にも映らなくなるんだ。周波数さえキャッチすれば特定の人物にだけ見えるようになるけどね。さっきあいつらの乗ってた飛行機は僕にはもう見える。だけど向こうには僕らが見えてないから、多分撒けるよ。」
ノイスは大したことでもないようにさらりと言うと、大きくジャンプしてどこかの敷地内に入って止まった。若葉はゆっくりと目を開けた。
「…ここって…」
「うん。君の知っているところじゃないと帰れなくなるだろ?」
そこは若葉が小学校の2年生から6年生までの5年間通っていたスイミングスクールだった。よく覚えてる。ここの先生が皆優しくて大好きで、週一回の授業が楽しみだった。私立の中学に入学が決まって、それ以来ずっと来ていなかった。数年前に生徒の減少が理由で閉鎖したことは聞いていたけれど、、そのまま解体されることなく残っていたんだ…。
「中に入ったほうが安全だな。」
ノイスは封鎖されている入り口をこじ開けた。その腕力も人並みはずれていた。