次の日の朝、カイは神官たちの大反対にあっていた。朝食が済むとすぐにソロラスに行ってオルタスの事を調べてくると言ったからだ。

「なりません…それはなりませんぞ。」

老神官ツェルテは首を横に振り続けた。

「何故ですか?言っておきますが、私はツァラトラの民ではありませんよ。オルタスを調べるくらい構わないでしょう。」

簡易住居内の人々は口をつぐんだ。もうすっかりクリフォスの光は消えているのに、未だツァラトラとの深い関わりを信じているものが多く、世界の姿を知る上では少し煩わしいとさえカイは思っていた。もちろん誤解があるとはいえ、手厚くもてなしてくれた彼らには深く感謝をしていたが。

 カイは小さく溜め息まじりに言葉を切った。少しずつ不機嫌になりつつある自分に気が付いたからだ。今まで心理状態がクリフォスの力に影響した事はなかったけれど、もしそれが有り得ることなら、絶対に起こしてはいけない。

 

―どんな絶望よりも深い所に陥れる敵にもなる…―

 

あの言葉が頭を再びよぎった。

「どうしても…」

隻腕のダルが口を開いた。

「どうしてもソロラスへいらっしゃるというならば、この俺がお供いたします。」

ダルは残っている左腕を地面につけて、お辞儀をしながらカイに申し出た。

「できれば一人で行きたいのですが…」

カイは向かい合う人たちを見渡した。

「…そうもいかないようですね。」

「そのとおりです。」

カイが妥協するのを待っていたかのように、即座にツェルテが受けた。

「本来なら博識のベルタが参るのが良いのですが(ダルの眉根がピクッと動いた)、ベルタは先の戦いで足に不自由がありましてな。それに護衛という意味ではダルの方が適格でしょう。カイ殿、我々はこれ以上譲れませんぞ。」

ツェルテは最後に念押しした。

「わかりました。ではすぐに発ちます。」

カイは軽くお辞儀をしてすっと立ち上がると、真っ直ぐに簡易住居から外へと歩き出した。外は少し曇りがちで昨日よりも気温が低かったが、火の灯る室内にいたカイにはその方が心地よかった。後ろに数歩の距離を置いてダルが静かについてきていた。

 

 二人があの森に入ってからも、ずいぶん何も話さず黙々と歩き続けていた。やがてダルが耐え切れなくなったのか、遠慮がちにカイに話しかけてきた。

「もしや…怒っておいでですか?」

カイは不意をつかれたようなきょとんとした顔で振り向いた。

「いや…そう見えたか?」

「少し。」

「そうか、すまなかった。」

カイはそれだけ言うとまた歩き出した。だが数歩と行かないうちに自嘲的な笑みを浮かべて言った。

「駄目だな、私は。いつだって温和にしていたいのに、些細な事ですぐにイライラしてしまう。」

「いえ、人間誰しもそういうものです。俺だってベルタに当たってしまうことがあります。ベルタは俺にはない知識をたくさん持っていますから…。」

ダルはこの世界で今までにあった誰よりも、カイの事をよく理解していた。ツェルテやベルタとは違って、自然と気を置かないようになっていたから、カイは彼に対していい意味で丁寧語を使わなかったし、また少し怒ったような態度もとれたのだった。未だダルの方にカイに対する敬遠の念があったにせよ、二人は心のどこかでお互いを友人のように思いあっていた。

「人間誰しもそういうものだよ。」

繰り返したカイの言葉に、カイもダルも柔和に微笑んだ。二人は小さな森を並ぶようにして歩いていった。

 森を抜けると、ソロラスは丘陵にそびえ、その手前には川があった。しかし、ダルが言うには今は乾季で水かさはかなり浅いらしい。

「上流に…北に少し行けば、崩れかけていますが橋があります。」

そう指差す方向を見たが、橋は近くには見えなかった。

「いや、ここを突っ切った方が近いんだろう?水かさがそれほどじゃないなら、川を越えていこう。」

「そうなるとソロラスの西側から入ることになりますね。正面ではありませんが、よろしいんで?西はソロラスでは出口になりますが…」

「では西側からは入れないのか?」

カイは宗教ごとや聖地に関しては、特に気を遣っていた。

「そんなことはありません。ただ少し正当性に欠けるかと…。初期のツァラトラの教えでは、西からの来訪は異端だとされてましたから。今はそれほど強調していませんが。」

「私は構わないが、ダルが困るなら正面に回ろう。」

「いえ!カイ殿にご承知いただけるなら俺も構いません。参りましょう。ぬかるみに気をつけて。」

ダルはそういうと、一段低い所を流れる川の土手を下りて先導した。背の高いダルにとっては膝下ほどの水位だったが、カイがいざ入ってみるとちょうど膝ぐらいまで浸かってしまった。

 

5〜6mほどの川幅を渡りきって濡れた裾の水気をあらかた取り、改めてソロラスを見ると、なるほど聖地というにふさわしい。丘陵の真ん中に突如として街が存在しているのだ。カイが不思議に思ったのは、川の一方の岸には森があるのに、何故か反対側は乾き切っていて背の高い植物はなく、一部は砂漠化していたことだった。ダルは(ベルタから聞いたそうだが)ソロラスのある側の土地は、森のあるほうよりも高い所にあるために、川の水分がほとんどその恵を与えていないのだとカイに教えてくれた。

「聖地を離れる事になって唯一良かったことは、水の心配をしなくて済むようになったことですよ。」

ダルが物憂げな声で呟いた。

 

 

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