子供たちは古いレンガ造りの崩れかけた建物に入っていった。多少区画整備されている寂れた通りに建つこの建物は、数年前は立派な居住建築物であったことを容易に想像させた。窓にガラスはなく、壁紙も剥がれ、カーテンも家具も一切が消え失せ、レンガだけの冷たい建物を、ケイルは自分たちの秘密の隠れ家なのだとそっとカイに教えた。子供たちは建物の3階まで登ると、その中の一部屋に入っていった。部屋も外見と同じく殺風景で、ドアのない入り口とガラスのない窓、そしてベッドのない寝室のような部屋だった。ウィニーが最初に部屋に入り窓の近くへ行き、ラルフは椅子になりそうなものを集め、ケイルはカイのそばに立っていた。
「それで?」
ウィニーは少し冷めた表情で振り返った。
「あたしたちはあなたに何から教えればいいのかしら?」
嫌味を含んだウィ二―の物言いに、ラルフはまた少し嫌悪感を示してウィニーを横目でちらりと見た。
「とにかく最初から話しますよ。もし知っていたら言ってください。」
ラルフはカイに座るように勧めた。
「まず国の名前から教えましょうか。」
全員が座ったのを確認するとラルフは話し始めた。尤もウィニーだけは窓の近くで腕を組んで壁に寄りかかっていたが。
「ここには4つの国があります。西の大国リトリアと東の大国カスタ。そしてその二つに挟まれた細長い土地の南に位置するのがグァナで、北に位置するのが俺たちの国エウターナです。リトリアとカスタは昔から領海や島の権利を巡って戦争状態が続いていて、何度もリトリア・カスタ戦争(通称リトカ戦と呼ばれますが)が勃発して、今は第3次リトカ戦の8年目になります。エウターナとグァナはその中間にあるので、いつも戦渦に巻き込まれてきました。もちろん今回もです。」
ラルフはウィ二―のピリピリした雰囲気を感じ取って最後に付け加えた。
「グァナはエウターナよりもずっと政治力のある国でしたから、第1次リトカ戦が始まって、グァナの西方の町や村がリトリア軍にいくつか全滅させられたとき、グァナ政府はすぐにリトリアに抗議しました。ですがそれがリトリアのピガル総督の怒りを買ってしまって、グァナとも戦争状態になりました。戦局はこのまま三つ巴かとも思われたらしいのですが、グァナは兵力をほとんど持たない国でしたので、あっという間にリトリア軍に滅ぼされたそうです。これはもう30年近く昔のことなので、俺たちはちゃんとした国だった頃のグァナを知りません。今は亡命政権があるといわれてますが、どこにあるのかはっきりしませんし。」
「どこにあるのかっていうより本当にあるのかって話よ。」
ウィニーは肩をすくめた。
「それじゃあグァナは地図から消されてしまったのか?」
「一応はまだあります。ですが無いも同然です。ほとんどリトリア領になってますから。」
目線を落としたラルフの顔を覗き込んだケイルと目があって、ラルフはフッと彼に笑いかけた。
「俺たちの国エウターナは、あまり強い政府ではありませんでしたし、敗北したグァナの様子を見ていましたから、西の町がリトリアにつぶされようが、東の村にカスタが侵攻してこようが抗議することはありませんでした。出来なかったと言ったほうが正しいでしょう。そこでカスタと安全保障条約を締結したんです。」
ラルフはまだ15歳ぐらいだというのに、この世界の情勢を冷静に分析していた。決して豊かではなく、情報が都合よく手に入るような状況でもないのに、これは戦争という怪我の功名なのか、それともこのような時代の嘆くべき才能なのか。
「カスタは確かに大国なのですが、ほとんどが平原なので鉄資源が常に不足していました。ですがエウターナは北方の山脈に鉱山がいくつもあって、産業の国として栄えていました。そこでエウターナ政府は第3次リトカ戦が始まってすぐにカスタに対して、鉄資源や鉄製品を独占的に販売・提供する代わりに、リトリアがエウターナに領土的侵攻を行った場合、武力を持って排除するという内容でサインしたんです。でも、リトリアのピガル総督がこの動きを見逃す訳がありませんでした。ピガル総督は俺たちエウターナ人を&衰と死を売る金髪の悪魔といって迫害し始めました。最初はリトリア国内に少しだけ残っていたエウターナ人を、その次にリトリア領となったグァナに住んでいたエウターナ人を、そして3年前からエウターナ国内住んでいる人たちを次々と収容所に送ったり、その場で殺したりしました。」
ラルフは再び目線を落とした。話の内容がわかってか、ケイルはカイの傍でじっとして、カイの羽織っているマントの裾をぎゅっと掴んでいた。
「カスタに逃げた人はいなかったのか?」
「カスタは迫害こそしないものの、エウターナ人を受け入れてはくれませんでした。」
「安全保障条約は?武力を持って排除するんじゃなかったのか?」
「そのはずだったんですが・・・」
ラルフが次の言葉をつなごうとする前に、ウィニーがカイをキッと睨み付けるようにして反論した。
「カスタはエウターナを裏切ったのよ!」
「裏切った?」カイはウィニーを見た。
「いや、正確には裏切ってはいません。」
「裏切ったも同然よ!そうでなければ騙されたんだわ!」
ウィニーはこの隠れ家で出していいギリギリの大きさの声で怒鳴った。
「どういうことだ?」
カイはラルフのほうを見た。
「さっき条約の内容の中に<潟gリアが領土的侵攻を行った場合ってありましたよね。でもリトリアは第3次リトカ戦になってからエウターナの領土を攻撃していないんです。つまりエウターナ人を迫害という形で攻撃しているだけ。カスタは領土的侵攻でないのなら軍隊をエウターナに派遣ことは出来ない、とはっきり公表しました。」
「おそらくカスタは最初からそのつもりで条件を出したんだろう。見抜けなかったエウターナ政府が、と言っては何だが・・・」
カイはそう言いながら、マントの下で右腕を押さえていた。森の中でもそうだったが、カイが何かを不快に感じたり怒りを感じたりすると、右腕のあざはいつも内側からチクチクと刺されるように痛んだ。
「今、エウターナ人は色々な所に隠れ住んでいます。俺たちもその中の一人です。さっきのサイレンはリトリアの軍事警察の車の音ですよ。おそらく別の場所に隠れていたエウターナ人が捕まったんでしょう。それをサイレンでそこら中に知らせて、残っているエウターナ人にプレッシャーを与えてるんです。♂エたちはもうすぐそこまで来ているぞ、観念して出て来いっていう風にね。」
ラルフは全て話し尽くしたというように深くため息をついた。
続きへ⇒第2章ー3