第2章 国防と狂人
もしも全ての世界が平和になったら・・・という約束は、カイにとって唯一の真実のようなものだった。その約束の全容や、いつ誰と交わしたのか等ということを、カイが完全に覚えていたわけではなかったけれど、それがカイの行く先を照らす光であることに変わりなかった。なぜなら、世界を平和にしていくことがカイの使命であったからだ。
カイは、今自分がどこにいるのか見当もつかなかった。そればかりか、未だ夢の中なのか既に目覚めているのかさえわからずにまどろんでいた。尤もカイはその直前まで、夢を見ることもないほど深い闇のような眠りについていたのだが。
カイの傍らで、複数のひそひそ話がしていた。子供の声のようだ。しかし、カイのそのひどい疲労感がとれるか、若しくはそれを拭えるまでに体力が回復しない限り、カイは瞳も開けられそうもなかった。それでも意識はやけにハッキリしていて、カイはひそひそ話に耳を傾けた。
「・・・だからね、俺としてはこの人をこのままにしておくのは返って良くないと思うんだ。誰かがこの近くに住んでるんじゃないかって疑われるかもしれないだろう?」
「だから連れて帰りたいっての?もしこの人がリトリア人だったら、通報されるかもしれないじゃない。」
冷静な男の子の声に、強気な女の子が反論した。
「あんたはどう思う?」
「ボク・・・ボクは・・・」
「そんなに怒った風に聞くなよ。ケイルはまだ7歳だぞ。」
「ボク・・・この人連れて帰った方がいいと思う・・・。怪我してたらかわいそうだもん・・・。」
「それでこの人がリトリア人だったらどう責任とるつもり?」
「だからそういう口調は止めろって言ってるだろ!」
話し声はもはやひそひそではなくなりつつあった。その後、少しの間沈黙が続いて、冷静な声がひそひそ声に戻って静かに話し始めた。
「よく考えてみろよ、ウィニー。今俺たちにとって一番まずいのは、こうしているのを誰かに見られることだろ?第一この人は絶対にリトリア人じゃないよ。」
「どうしてそんなことがわかるのよ。」女の子は引き下がらない。
「リトリア人に比べて、この人は髪の色が茶色くないし、それに少し小柄だ。顔立ちもリトリア人というよりも俺たちに近いと思わないか。」
「……ボクもそう思う。」
「どうかしら。この人の寝顔だけで本当にそう言える?リトリア人の中にも黒に近い色の髪で、小柄なほうで、私達によく似た人がいるかもしれないじゃない。」
「いい加減にしろよ、ウィニー!」
男の子の声が遂に爆発した。相変わらず小声ではあったけれど、激しく女の子を叱咤した。
「今俺たちがこうしているのだってかなり危ないんだぞ!なのにお前がいつまでもそんな風にしてたら、誰かに見つかるかもしれないだろ?!それでここが見つかったら、それこそお前責任取れるのか?!」
「わ、わかったわよ、ラルフ。」
とうとう女の子が折れた。しかし、全て納得したという様子ではなく、交換条件を出した。
「せめてどっちの国の人か知りたいわ。この人を起こして、瞳の色が青か茶色か確かめてみましょうよ。」
「…ボクもそれがいいと思う。目の色だけはどうやっても変えられないし。」
「いいぜ。おいウィニー、もう少し髪を隠せ。」
すると、ラルフと呼ばれている男の子の手がカイに触れ、身体を揺さ振った。カイは、体力の回復具合からもう少し瞳を閉じていたかったが、自分が瞳を開けない限り子供達はこの場を離れられないと思うと、多少無理してでも瞳をこじ開けないわけにはいかなかった。
「黒だわ。」
女の子がすぐに答えた。
「…黒い目って何人なの?」
「さ、さあ?見たことねぇよ。」
「私だってないわ。」
三人の子供たちは困惑していた。カイは彼らを見渡した。子供たちの目は透き通るような青で、帽子からはみ出た髪の毛は少しくすんだ金色をしていた。ケイルは7歳と言っていた割には少し小さく、ラルフとウィ二ーは同い年くらいで14,5歳と思われた。
「君たちは・・・?」
カイはかすれた声で問いかけたが、その短い言葉が言い終わらないうちに、けたたましく車のサイレンが響いた。カイはそれが何を意味するのか全くわからなかったが、子供たちはひどく驚いてすぐに立ち上がった。
「立てますか?早く行かないと見つかっちゃう!」
ラルフはカイの左腕を引っ張った。それを見て、一番小さなケイルがカイの右腕を掴み、女の子のウィニーがカイの背中を押した。カイはそのおかげで何とか立ち上がり、子供たちに先導されて走り出したが、以前森の中で目覚めたときのようなひどい頭痛のせいで、何度も眩暈がした。子供たちは複雑な路地を何度も曲がり、車のサイレンが遠のいてきたころになってやっと立ち止まった。子供たちもそうだったが、それ以上にカイの息はひどく上がっていた。
「…大丈夫?具合が悪いの?」
カイの腰の高さほどの身長しかないケイルが、不安そうな顔をしてカイに尋ねた。
「大丈夫だよ。きっとすぐに良くなるから。」
カイは優しくケイルの頭を撫でた。それからラルフとウィニーの方を見た。二人とも不思議そうな顔でカイを見ていた。
「おかしなことを言うと思うかもしれないが、ここがどこか教えてくれないか?」
ラルフとウィニーは顔を見合わせた。
「リトリアとは関係なさそうだね。」
「そうね。とりあえずはね。」
ウィニーはまだ疑っているようだ。ラルフはカイに近づいた。
「ここはエウターナっていうところです。正確にはエウターナとリトリアの国境ですけど。」
エウターナ…リトリア…。聞いた事のない国だ。この前の世界とは全く違うところに来ているのだろう。あの頭に響いてきた声は、どうやら本当のことを言っていたらしい。
「それで…さっきのサイレンは一体…。君たちは何故あんなに驚いていたんだ?」
「ちょっと待ってよ。先にそっちが答えて。何であんたはあんなところに倒れてたの?」
何か言いかけたケイルを退けて、ウィニーがカイに詰め寄った。
「それが…私にもわからないんだ。気が付いたらあそこにいたとしか…。」
「正直に答えてよ。こっちは命懸けなのよ。」
ウィニーは敵意をむき出しにしていたが、カイにその真意は飲み込めなかった。その様子を見て、ラルフは自分とカイの間に割って入ったウィニーの肩に手を置いた。
「さっきサイレンの事を聞いてましたけど、あれが何だか本当に知らないんですか?それより俺たちを見て何とも思いませんか?」
ケイルはラルフのいった意味がわかっていないようで、三人の顔を見渡していた。もちろんカイも、ラルフが何故そのような聞き方をするのか全く理解できなかった。
「何を…言っているのかよくわからないな。それが君たちと何の関係があるんだ?」
ラルフはそれを聞くとフッと笑って、ウィニーとケイルに目配せした。
「大丈夫だよ。この人はリトリアとは全然関係ない。」
そう言うと、ラルフは再びカイに視線を戻した。その後ろでウィニーは眉を少し動かし、ケイルはニコッと笑みを浮かべた。
「疑ってすみませんでした。俺はラルフ。それで女の子の方がウィニーで、一番小さいのがケイルです。」
「私のほうこそ色々迷惑をかけたようですまない。私はカイ。ここの事を少し教えてもらえないか?」
カイは$「界という言葉を使わないように気をつけた。ラルフは辺りを見渡した。4人のいる周辺の静けさは誰かがいるようには思えないほどだったが、ウィニーは明らかに「いつまでここにいるつもり?」という顔をしていた。
「とにかくもっと奥のほうへ移動しましょう。ここではまだ安心できませんから。」
ケイルの手をとって歩き始めたラルフの後をカイは静かについていった。
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