「何の音だ?」

しばらくの間一言もしゃべらず黙々と歩き続けていた時間を、カイの言葉が打ち破った。

「え?何が?」

ラナはカイの方へ振り返り、カイはさらに後ろの森を見つめ、音のした方向とその正体を探ろうとしていた。

「あたしには何も聞こえなかったけど?」

「いや、しかし・・・。」カイは神経を集中させた。

「・・・銃声?」

「え?」

「どこかで大勢の人間が撃ち合っている。」

カイは顔をしかめた。何故だか吐き気がする。

「ああ、きっと森の外でまた争いが始まったからだわ。でも大丈夫。この森は深くて複雑だから軍隊は入ってこれないし、外から森の中を蜂の巣にしようったって、木に阻まれて銃弾はここまで届かないから。」

ラナは指し示すように一本の木に触れた。南に向いた木の表面には、生々しく銃弾の痕跡がいくつも残っていた。

「ここでは戦争が起きているのか?」

「うん。ずいぶん前からね。あたしが生まれる前からだから、もう二十年にくらいになるのかな。でもどうして戦争が始まったのか、あたしはよく知らない。近頃は泥沼化してきているって父さんが言ってるけど・・・。」

「そうか・・・。」

カイは戦争が怖いとは思わなかった。吐き気がしている割にはそれが憎いとも感じなかった。ただ漠然と使命感にも似た感情が沸き起こってきて、いやに右腕が痛んだ。

「どうしたの?何か気になるの?もう少しで村だから早く行こうよ。」

立ちすくんでいるカイを、ラナは促した。

 ラナの村は、森の中で唯一空が見える一ヶ所だけひらけた場所にあった。家々は木の骨組みに布をかけたテントと家の中間のような質素な建物だった。あまり大きな村ではなく、二十戸前後の家がまばらに建っていた。ラナはその中の一つの家の前で止まった。

「ここがあたしの家。そうだ!カイのマント洗って干しといてあげるよ。貸して。」

「あ、ああ。ありがとう。」

薄汚れたマントの下には、タイトなTシャツとゲートルを巻いた幅の広いズボン、しっかりとしたブーツを身につけていた。その全てがカイの髪の色のように漆黒だった。そしてもう一つ、右腕にはあざとも刺青ともつかない、赤い何らかの模様があった。

「カイ?何ボーッとしてるの?父さんが話をしたいって。」

「話?」

右腕を見つめていたカイは、ラナの言葉に顔を上げ、彼女の指差す家へと入った。家の中には、ラナと同じように日に焼けた肌に色素の薄い髪を生やしたガタイのいい男が座っていた。

「君がカイだね?」

「はい。」

「俺はラナの父親でこの村の長でもあるラグという。行く当てがないならこの村にいても構わんが、森の外には出ないほうがいい。幾日か前にすぐそこで戦闘が始まったからね。奴ら、また新たな兵器を開発したらしい。状況はよく知らんが、ひどいものだよ。」

「ずいぶん長い戦争だそうですね。」

「もう二十年になる戦争だ。もはや目的も正義もなくした無意味な戦いだと俺は思うがね。」

「その戦争の事、詳しく教えてくれませんか?」

下向き加減に、思いつめたような表情で話していたラグは、カイの言葉で顔を上げた。最初に話しかけてきた時のラナと同じ目でカイを見ている。

「遠いところから来たらしいとラナに聞いたが、君は一体どこから来た?余所者でもここに住んでいる人間ならば大体のことは知っているはずだが?」

カイはラグから目をそらした。決して後ろめたいことがあるわけではない。だが、何と答えればいいのかわからない。本当の事を言って信じてもらえるだろうか。自分の素性を偽る事はできるが、それではかえって逆効果になりはしないか。意を決してカイはもう一度ラグを見た。

「何も知らないのです。私はどこからどうやってきたのか、何の目的で来たのか、何も思い出せないのです。」

「記憶喪失かね?」

「わかりません。失う以前に私に記憶があったのかどうかも。ただ・・・」

「ただ?」

カイは目覚めてから、心に起きた感情を一つ一つ思い出してみた。頭痛、めまい、不安、安堵、嫌悪、吐き気、漠然とした使命感・・・。

「ただ私がこの戦争を終わらせなければならないと、そんな気がするのです。」

言葉が自然とこぼれてきた。目覚める前の記憶を呼び覚ますような言葉だった。

 

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