戦争が終結してから丸一日、ラナはカイの姿を見つけることができなかった。シャリト共和国とシャオル王国は、森の入り口で調印を交わし、二十年ぶりに平和を迎えた。ラナは難しい事はわからないと言って叔父に全てを任せ、昨日の夜からカイを探し回っていた。彼は共和国の中にも森の南側にもいなかった。探していないのは森の北側と王国内だけ。王国にはラナも行ったことがないし、カイも行ったことがないはず。次に探すなら森の北側しかない。ラナはそう考えて平和に沸く人々から離れ、人知れず森の北側へ入っていった。

 森が次第に深くなってくると、人々のお祭り騒ぎもさすがに聞こえてこなかった。森はいつものように暗く深かったが、どこか清々しい雰囲気を湛えていた。ラナは知り尽くした森をゆっくり歩き、木の一本一本を見るように辺りをキョロキョロした。

「カイ・・・どこにいるの?」

ラナの目には、あの時のカイの笑顔が焼きついていた。カイはいついなくなったのだろう。涙で少し滲んで見えたカイの笑顔。自分に向かって走ってくる人たち。それから空が見えた。瓦礫から落ちたときに見上げたっけ。それから・・・それから・・・。ラナは探しながら、あの時のことを思い出そうとした。だが、それはカイがあの場からいなくなるのに十分な時間があったことを、ラナに思い知らせるだけだった。カイのおかげで戦争が終わったのに。一緒に平和になったんだって喜びたかった、たとえカイが余所者でも。もしかしてそのせいでいなくなっちゃったの?余所者だって気持ちは一緒だったでしょ?

ラナは木に手をかけて一休みした。左手を膝に当て息を切らした。泣きそうになりながら歩くのは、予想以上に疲れる。ラナは大きく息をつき、気合を入れなおして顔を上げた。そしてラナは見た。大きな木の陰から見覚えのある赤い光が洩れているのを。

 木の後ろに回ると、木に寄りかかるようにして座っているカイがいた。右腕は赤い光に包まれており、カイは瞳を閉じて静かに息をしていた。眠っているのだろうか。

「カイ・・・?」

ラナが呼びかけると、カイはゆっくりと目を開けて顔を動かしラナを見た。カイが少し不本意というような顔をしているのに気付いていたが、それでもラナは微笑んだ。

「良かった。探してたの。急にいなくなっちゃったから・・・。」

「そうか。」

カイは最初に会ったときのようにそっけなかった。ラナはその様子にためらったが、会話を続けた。

「どうして・・・あの時いなくなっちゃったの?」

「戦争が終わって、私のこの世界での役目が終わったからだ。」

「セ・・・カイ」

目を閉じて話していたカイは、ラナのその言葉にふと思い出して彼女の方へ振り返った。

「そういえば、世界のことを説明するというような約束をしていたな。」

カイの顔は少し柔らかくなった。ラナはそれを見てホッとした。

「私も全てを知っているわけではないから、深く追求しないでほしいのだが・・・。」

カイは気だるそうに座っていたのを、ちゃんと座り直して話し始めた。ラナもカイの左側に座った。

「簡単に言うと$「界“とはいくつかの国や村、民族が集まってできた共同体のことをいうんだ。例えばこの世界で言うなら、シャリト共和国・シェオル王国、そしてラナたち森に住む民族がそうだ。」

カイが言葉を区切ったので、ラナそこで何度か頷いた。

「そしてそういう$「界“は、ここを含めていくつかあるらしい。」

「いくつも?でも他に同じような場所があるなんて聞いた事ないわ。」

「それは他に世界があるなんてことが、どの世界の誰にも知らされていないからだ。それぞれが自分の世界が唯一だと信じてる。」

ラナはカイの言葉を頭の中で整理した。ラナにとっては突拍子もない話だった。カイにとってもそうだったのかもしれない。それほどまでに受け入れがたい事実だった。

「ど、どうしてカイはそんな事を知ってるの?誰にも知らされていないんでしょう?」

ラナにとってそれが一番不思議だった。どこの世界の誰にも知らされていないこと、それではカイは?それを知っているというのは何を表しているのだろうか。カイは、ラナのその質問にしばらく考え込んでいた。今回は、以前のようにわからないことをどう答えたらいいのかを悩んでいるのではなく、今理解していることをどう伝えるべきか悩んでいるようだった。

「私も・・・詳しくはわからない。何故私がこのことを知っているのか、何故誰にも知らされていないのか。わかっているのは、世界中で何らかの紛争や争いが起きているということ、そして私がその全ての世界を訪れてそれらを止めなければならないということだけだ。何故そうしなければならないのかはわからない。でも約束したんだよ、誰かと。もしも全ての世界が平和になったら・・・」

「平和になったら?」

カイは首を横に振った。

「・・・ここまでしか思い出せないんだ。だが、世界を訪れていって使命を果たしていけばきっと何かわかると思う。だから・・・行くよ。」

「行くってどうやって・・・?」

ラナが言い終わると同時に、カイは光を帯びていた右腕をマントの下から出した。すると光は一気に広がって、カイの体全体を包み込んだ。

「本当は誰にも見つからない内に行ってしまいたかったんだ。せっかく皆と和解できそうだったのに・・・。残念だ。」

カイは右腕を見つめたまま、悲しそうな顔をした。

「でもまた会えるわ!ね?・・・それとも・・・もう会えないの?」

カイの顔から悲しみの色が消えないのを見て、ラナは言葉を付け足した。カイはラナの目を愁いを帯びた瞳で見た。

「・・・おそらく。」

カイは手や足の末端部分からどんどんと透け始めた。まだ見えなくなるほどに消えたわけではなかったが、カイの足の下にあるはずの石が鮮明に見えてきていた。ラナはカイの左肩にすがりついた。

「それならみんなに会いに行かなくちゃ!叔父さんもトマもトナも、それから共和国の将軍にあのお爺さんも!みんなカイに会いたがってるのよ!あと王国の王様も。王様も戦争を止めるって言ってくれたわ。カイに話を聞きたいって!ね?お願い。」

カイは静かに首を横に振った。ラナの手からは、つかんでいるはずのカイの肩の感触がどんどん薄れていった。

「もう・・・ここにはいられないんだ。」

カイは僅かに輪郭しか捉えられなくなった右腕を見つめて言った。ラナは喉が押しつぶされそうだった。そしてもはや掴めなくなった肩から手を離し、まだはっきり見えているカイの首の辺りに抱きついた。

「お願い!行かないで!カイがいなかったらあたし、戦争を止めたりなんてできなかったし、それに・・・」

ラナは言葉に詰まった。泣いているようだ。だが、カイにはどうにもできなかった。薄れていく身体に伴って、意識もどんどん遠のいていく。まるでとてつもない睡魔に襲われるかのようだ。

「ラナ・・・」

カイは意識のある内にラナに別れを告げようと思った。しかし、それを遮るようにラナはかすれるような声で呟いた。

「あたし、カイに傍にいてほしい・・・」

半分以上閉じかけていた目を、カイはこじ開けるようにして少しだけ開いた。カイもできるなら傍にいてあげたかった。この世界で役に立つことがあるなら、どんなことでもやってあげたかった。しかしそうもいかない。カイは重い両腕を持ち上げて、抱きついているラナの体に回そうとしたが、両腕はラナの身体をすり抜けた。ラナは急に軽くなった感覚に驚いて、カイの身体を改めて見た。赤い光に包まれているカイの身体は、やっと見えるぐらいにまで薄れている。カイは何かを呟いているように口を動かしていたが、ラナは聞き取ることができなかった。ラナは涙で周りがよく見えない目を凝らして、カイの口の動きを捉えた。

(ありがとう)

ラナの目に涙があふれた。

「カイ、あたしもよ。あたしも・・・」

ラナがそこまで言いかけたとき、カイの身体は完全に見えなくなった。赤い光だけがその余韻を残していた。ラナはカイに抱きついたままの体勢で、赤い光をただ見つめていた。今の今まで一人の青年がいた、そして今や空虚となった腕の中に、どこからか一枚の青い葉が舞い落ちてきた。

 

 

 

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