共和国を囲う塀は、王国側に向いている部分の七割以上が既に壊されていた。王国軍はありったけの戦車を駆使して攻撃し、共和国軍はバリケードを張り大砲で応戦していた。明らかに王国軍の方が優勢だ。森の中からその様子を見ていたラナは小刻みに震えていた。

「大丈夫か?ラナ。」

カイはそれに気づいて尋ねた。

「え?何?」

恐怖と緊張でラナの神経はだいぶ磨り減っているようだ。

「あたし、叔父さんにあんな風に言ったけど、本当にできるのかな?」

ラナの声は今にも泣き出しそうだった。カイはまだ仄かに光っている右腕をマントから出し、その肩口をラナに見せた。そこに刻まれた球体は光で縁取られている。そして〔10i〕と書かれた数字の下に歪な文字が表れていた。

「ラナ、さっき私が言ったことを覚えているか?世界の姿を見出すといったこと。」

「うん。でもセカイって何のことだか・・・」

「今世界の説明をしている暇はない。それより見るんだ。この文字を。」

ラナは少し震えながらカイの肩口を見た。そして首を横に振って、読めないということをカイに伝えた。

「私も全てを思い出したわけじゃないが、この球体の意味だけはわかるんだ。これはキムラヌート、つまり物質主義だ。」

「ぶ、物質主義?」

「人の気持ちを無視して、生きていくためだけの問題を第一とする主義のことだ。豊かな生活のために戦争を続けるこの世界はまさにこれだ。ラナ、君は言ったね。生活のために誰かが犠牲になるのは間違ってると。それは物質主義に反する考え方だ。だから大丈夫。君なら戦争を止められる。」

ラナは震える手を握りしめながらカイの話を聞いていた。

「で、でももし軍隊が攻撃してきたら?」

「私の力で食い止める。」

「話を・・・聞いてもらえなかったら?」

「聞いてもらうんじゃない。聞かせるんだ。ラナの本当の気持ちを。」

ラナの目にはどんどんと涙があふれてきた。ラナはカイを見つめていた瞳を閉じ、深呼吸をして上を見上げた。

「父さん・・・見てて。」

ラナはそう呟くと、涙目をこすってカイに頷いた。

 

 

 

 両軍は共和国の崩れた塀からほぼ同じ距離の場所で陣営を組んでいた。周りには多くの人が倒れ、共和国内にはその中に民間人の姿もあった。森に潜んでいた二人は、ラナが先に走るようにして森から飛び出した。どちらの軍隊もまだそれには気付いていない。砲弾の嵐が一時的に止まっている間に、ラナは一気に塀の瓦礫の上に立った。カイもそのすぐ後に同じ瓦礫の上の、ラナの後方で止まった。

「みなさん、聞いてください!」

ラナは叫んだ。しかし数秒遅く、共和国軍から砲弾が放たれた。カイが少し痛みはじめた右腕に集中すると、右腕は以前のように強く光り、砲弾は二人の手前で塵に変わった。

「何故あんなところに人がいる?!王国軍の兵士か?」

シャリト共和国のゾルティブ将軍は、五センチほどにしか見えない人影に目を凝らした。

「いえ、違いますな。」

双眼鏡で覗いていた文官のオマリ老人は、将軍にはっきりと言った。

「以前将軍に謁見したカイという青年ですな。その横にいるのは、おそらく森に住む民族の者でしょう。」

「何?!あの男か!」

将軍はすぐに狙撃を中断させた。シェオル王国側でもゲイナー元帥は驚きと少しの恐怖が入り混じったような声でカイと確認するような言葉を発し、同じく狙撃を中断させた。

「みなさん、聞いてください!戦争を止めてください!」

ラナの声は特別に大きいというわけではないのに、通常では考えられないほど遠くまで響いた。

「豊かな生活のために争うなんて間違ってます!便利な生活が幸せであるとは限りません!」

戦車に乗っていた王国軍の兵士たちが、次々と戦車から顔を出した。狭い戦車の入り口から大勢が一気に頭を出そうとして、そのまま地面に落ちた兵士もいる。

「あたしたちは百年前と変わらない生活をしています!貧乏で不便だけど、それでも幸せです!」

共和国側では、バリケードの間から兵士だけでなく民間人も姿を見せた。みな一様に立ち上がってラナの言葉を聴いている。

「どうか戦争をやめてください!戦争なんかしなくても、みんなが一緒ならきっと豊かで幸せになれます!だからお願い!戦争をやめて!!」

ラナが全てを言い終わると、辺りは耳が痛くなるほどの沈黙に包まれた。カイは辺りを見渡した。両国の兵士や民間人はその場に立ち尽くしている。誰もが微動だにせず、口を少し開けて目を見開いたまま呆然としていた。ラナは自分の喉を押さえながら森の方を見た。森の入り口には、森の奥に逃げたはずの村民が同じように立っている。

「ど、どうなったの・・・?」

ラナは小さな声で呟いた。すると一陣の風が吹いてきて、直後、砲撃の轟音の何千倍もの大きな歓声が両国の間から沸き起こった。その一人一人が何を言っているのかはわからない。しかし皆笑い喜び、近くの人と手を取ったり抱き合ったりしている。両軍の指揮官は呆気にとられた顔をしながらも、人々が喜ぶのを諌めようとはしなかった。オマリ老人など曲がった腰をこれ以上ないほど伸ばして万歳をすると、そのまま小踊りを始めていた。

「カイ、あたし・・・」

ラナはカイの方へ振り返った。カイは今までしたことがないような満面の笑みを浮かべた。それを見るとラナの顔の筋肉は緩み、涙がひとすじ頬をつたった。森の方からはみんながラナの名前を呼びながら一斉に走ってきた。その様子の見た両軍の兵士や民間人も、ラナとカイの立つ瓦礫へと走り寄ってきた。ラナは驚いたはずみでバランスを崩し、瓦礫から足を踏み外したが、地面には落ちずに集まってきた人たちに抱きかかえられた。

「ラナ!」

「やったね!ラナ!」

「お譲ちゃん、すげぇぜ!!」

人々の反応に最初は唖然としていたラナも、実感がわいてくると大粒の涙をぼろぼろとこぼした。操縦者をなくした戦車や大砲の陣営から、二人の指揮官がちょうどその中間にいたラナのもとへ歩み寄ってきた。人だかりになっていた人たちは一歩ずつ後ろに下がり、二人を一人の少女のところへと導いた。

「まさかこんな形で戦争が終わるとはな。」

ゾルティブ将軍がフンと鼻を鳴らしながら言った。

「いや、まったくもってその通り。実に想定外だ。」

痩せたゲイナー元帥はそう言いながら髭を触った。ラナは赤くなった目で二人の男性を交互に見た。

「だが、言ってもらわなければ気が付かなかった。」

「ああ。兵士の気持ちも、こういう終わらせ方も。」

「それじゃあ・・・」

ラナの目にはまた涙がこみ上げた。周りにいた両軍の兵士も民間人も村民たちも、皆顔が同じようにぱっと明るくなった。

「戦争の終結だ。」

ゾルティブ将軍は手を差し出した。

「そうしよう。」

ゲイナー元帥はその手と握手をした。割れんばかりの歓声がまたしても一面に響き渡り、誰もが国も森も気にせずに抱き合い喜んだ。叔父や双子の姉妹、そして両国の兵士に共和国の人たちとラナは次々と抱きしめられたり、頭を撫でられたりしたが、それを掻き分けカイが立っているはずの瓦礫の上を見た。だが、そこにカイはいなかった。

「カイ?」

ラナは瓦礫の上に上って確かめようとしたが、人々の喜びの渦に巻き込まれてしまった。

 

 

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